光合成する本棚

こっそりひっそり

東京都美術館:ムンク展

東京都美術館ムンク展(ムンク展―共鳴する魂の叫び|東京都美術館)に行ってきた。

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展覧会や特別展では導入も兼ねて前半部分は同時代だったりテーマが似ていたりという作品を展示していることが多い気がする(比較的古い時代の作品の展覧会が好きなせいかもしれない)のだけれど、今回これは全部がムンクだったので驚いた。他の人の作品もおいてある形式は普通に過ごしていたら自発的には観なかったであろう作品に触れる良い機会だし各作品を比較するのもおもしろいので結構好きだけれど、これはこれで迫力があってすごいなあと思った。脳内がムンクで埋め尽くされていく感じ。

 

はじめの方は自画像・セルフポートレイトや家族の肖像などがたくさんあった。ムンクというとわりとくっきり筆跡の残る油彩のイメージ(主に「叫び」から来ている)だったので版画が多くて意外だった。特に若いころの作品にはシンプルな版画が多かったような気がする。後になるほど版画は少なく、あっても組み木の凝ったものだったり上からさらに絵の具で着色されていたりした。

 

ムンク特有の、月の光が水面につうっと流れる表現について知ったのはハチクロだったか。実際多くの作品の中にこの形式は登場していて、なんだかこの"月の道"があると画面に不思議な感じがするなと思ったのだけれどどうやら水平線の位置が高いからのようであった。変とかではなく絶妙に、固定観念が少しだけぶれる感覚がある。

 

グッズやポスターのたくさんあった「叫び」は真ん中あたりの章で、最後でないのがこれも意外。なんか意外なことばっかりだ。元気なうちに観ることができて良かった気がする。(体力がもやし程度な故に会場が広いと最後はへろへろになってしまう……。)ムンクがしばしば同じ主題や構図で繰り返し描いたというのはあまり知らなかったのでほとんど似ている「叫び」も複数あるらしいのに驚いた。今回観たのはそのうちのひとつ、いちばん有名なもの(たぶん)だったけれど、機会があったら他のバージョンも観てみたいなあと少し思った。関係ないけれどポケモンコラボのミミッキュかわいい。

 

「マドンナ」や「接吻」、「吸血鬼」などはそれぞれ複数作品展示されていて、色合いや周囲の光景などでこんなにも雰囲気や印象が変わるのだなあと興味深かった。石版だったり前述の組み木様の版も展示されていて、1つ作品ができてもその完成には満足しないで自分の中のそのイメージをより良く表現できないものか試行錯誤が続けられていた。こんなに絵のかける人であってもままならなさが付きまとってくるようなものが「表現」なのだなあとふっと思った。

 

その次の章ではモデルの女の子の出てくる絵が好きだった。「すすり泣く裸婦」とか「芸術家とモデル」とかのあたり。嘘もののようでいて少し現実的で、少し重みを感じて、少しかわいそうで、少し嗜虐心をそそる感じ。さらに後の方には肖像画や風景画などが展示されていた。視界いっぱいに光の広がる「太陽」がとても美しくて好きだった。 

 

晩年の作品は色と影とがきらきらしていた。この章にあった作品たちは、青と黄色と光のイメージ。 (「星月夜」とかみたいな。)色が明るくてきらきらしていてちょっとの絶望も受け入れてしまって一周まわって案外人生もそんなに嫌いでも無いかもなあというような感じ。 

 

 帰りに上野のスープストックでフェルメールのスープを食べた。びっくりするほどチーズが入っていてとてもおいしかった。

 

上野の森美術館 : フェルメール展

"それは、このうえもなく優雅な事件。"

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上野の森美術館フェルメール展(フェルメール展)。フェルメール作品は現在確認されているのが35点で、そのうち9点が集まったのは日本美術展史上最多ということらしい。

 

全6章で構成されており、第5章まではフェルメールと同じ17世紀オランダの画家たちの作品が展示されている。「好きだなあ」と思う絵が多かったので楽しかった。詳しくないのでわからないけれど、この時代のはやりというか、主流であったような技法・構成が好きなのかもしれない。あと第2章は神話画・宗教画だったけれど、物語を知っていることが前提とされているぶんキャンバスの外側まで絵が拡張されて、しかもそれでかえって画家が切り取った"この瞬間この場所"がさらに引き立つ感じがしてこのジャンルは基本的に好き。

全観覧者が音声ガイドを持つとともに、作品に関する文字情報が絵の横ではなく手元の冊子に集約されていて人の流れがスムーズになりやすく観やすかった。

 

第6章の「フェルメール・ルーム」の直前には短い白い廊下があり、天井と壁の切れ込みから照明が射し、光と影の入り口だった。

 

 第6章「光と影:フェルメール」は薄暗い広い部屋の3辺にフェルメールの絵が展示されている。いくつも並んでいるのを観ていたら、写真で見たときと色合い・大きさのイメージが違ったり西洋の古典に多く観られる三角形構造(前に授業で教わった)を見つけられたり、この目で鑑賞したことによる自分なりの新たな発見があったので嬉しかった。

 

グッズもいろいろあって可愛かった。自分用のお土産はクリアファイル。

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『手紙を書く女』。もこもこのついた黄色い上着を記憶に留めたい。

 

夕ごはんはatreのブラッスリーレカンに連れて行ってもらえて嬉しかった。ほぼ駅ナカで扉直前までは賑やかなのに、中に入ると一気に落ち着いた雰囲気になって感動した。かつての貴賓室の面影が残り、かつ普段着でも行けるくらいの場所ではあるのでちょっとした時に便利そう。(社会人なら。)

ポートワインを初めて飲んだけどおいしかった。赤ワインを飲んだことのない人の想像する赤ワインという感じ。

 

上野の森美術館、ここしばらくまで実はあまり行ったことがなく印象もほとんどなかったのだが、場所や広さが手軽で良いし、展示方法や構成もおしゃれでかつ見やすいのでかなり好きかもしれない。

 

長月、アイスとフルムーン。

最近少しおえかきの趣味に時間をかけすぎなきらいもあり、新学期以降なかなか本が読めていません。図書館の本を(借りなおそうにも開館時間に行くことができず)読みかけで返却したのは哀しかったです。

 

気力の削れてしまった時などは甘いものに加え油分の多めのものも欲しくなる気がしています。結論としては「疲れたときはアイスがおいしい!」になるのですが、最近気温も下がってきたのでなかなか気軽に食べられないのが難点です。

9月のいつかのバイト帰りに月がまんまるなことに気づいて感動しながら公園で食べたアイスは寒くてもおいしかったです。

 

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2018.09.23 読了

クレヨン王国の十二か月』

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福永令三

講談社 青い鳥文庫 1980年

 

「その十二のけってんとは、一つ、ちらかしぐせ。二つ、おねぼう。三つ、うそつき。四つ、じまんや。五つ、ほしがりぐせ。六つ、へんしょく。七つ、いじっぱり。八つ、げらげらわらいのすぐおこり。九つ、けちんぼ。十、人のせいにする。十一、うたがいぐせ。十二、おけしょう三時間。

(「ふしぎな大みそか」)

 

王妃の悪癖に嫌気がさして家出してしまったゴールデン国王。1年以内に連れ戻さないと王国が滅んでしまうらしく、小学生のユカはシルバー王妃に誘われ12の月と12の町をふたりで旅していくことになる。

 

クレヨン王国は小学生のころ図書館に行っては次から次へと借りまくっていた最強のシリーズ。『十二か月』は一作目なので世界観がまだあやふやだったり後の作品とずれていたりするところもあるけれど、かえって独立の一冊としてのまとまり具合はかなり高い。

 

読んだ範囲での話にはなるが、クレヨン王国の長編には

クレヨン王国内のキャラクターがクレヨン王国で冒険する(『三日月のルンルン』など)

クレヨン王国外のキャラクターがクレヨン王国で冒険する(『パトロール隊長』など)

クレヨン王国外のキャラクターがクレヨン王国の力を借りて外の問題を解決する(『黒の銀行』など)

 の3つ(とその組み合わせ)のパターンが多くみられると思っている。『十二か月』だと②をメインとして+①要素という感じ。

なんとなく初期は②や③が多く、①のみというようなものは王国の仕組みや世界観が確立されてきて、かつ読者に認識されて愛されている王国内のキャラクターたち(例えばアラエッサ&ストンストン)が増えてきたあたりから可能になってきたのかなという気がしている。『十二か月』のユカなどはまさに「訳のわからない異世界」のなかで読者が同じ目線に立てる依代としてのキャラクターなので、シリーズとしての積み重ねの結果それが必要でなくなるというのはすごいことだなとなんだか勝手に嬉しくなった。

 

ここまで例などで出した以外にも個人的に好きで印象に残っているのをいくつか(キリが無くなりそうなので少しだけ)あげると、例えば『月のたまご』(の1冊目)。なんといってもキャラクターが良くて、サードが良い。まゆみも良い。人気のアラエッサとストンストンもここが初出。(ふと調べたら、まゆみが小学6年生と出てきたことにかなり衝撃を受けている。大人すぎる……。)

『なみだ物語』は短編集なのだけれど、そのうちの「赤信号のなみだ」が小学生のころ通っていた塾で国語の教材にでたことがあり、良い意味でかなり心をえぐられた。

 

クレヨン王国の話をしていたらさらにいろいろ懐かしくなって読みたくなってきてしまった。もう大人だし、だいぶんお世話にもなったのだから、好きな作品は買って揃えていくべきかもなぁ。

 

東京都美術館 : BENTO おべんとう展

東京都美術館のBENTO おべんとう展(BENTO おべんとう展―食べる・集う・つながるデザイン|東京都美術館)。ごはんを持ち歩き可能な入れ物に詰めればそれはお弁当だし、システム的には簡単なものだが、ノスタルジックなイメージが何故か「おべんとう」には付きまとう。

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会場の中は3つに分かれ、階も2つにまたがっている。

 

順路を辿るとまずは写真やお弁当箱、絵や映像のあるコーナー。

展示されていた日本の昔のお弁当箱はお重が多く、複数人での行楽の際に使うのだろうと考えられた。ケのお弁当はどういう形で持ち歩かれていたのだろう。世界各国のお弁当箱(?)も籠や袋のことがあり、何を詰めるのか気になった。

野菜のスケッチは直接的にはおべんとうというわけではなかったが、普段何気なく使っていたり写真で見ても気づかないような注目ポイントが伝わってきて、今この時代でも観察の際はスケッチをする理由はこれだなと感じさせられた。

また、働く人々の昼食風景とお弁当という写真展示を「サラメシみたいだなあ」と思ったら、帰宅後調べたらどうやらサラメシの写真家さんらしくびっくりした。変に理想化されたりしていない、日々に根付いた「おべんとう」たちは飾らなくとも美しかった。おそらく今回の作品の中でいちばん好きだったのはここ。

 

次のコーナーは体験型で、貸し出しされた「精霊フォン」を携え内部を探検する。

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吹き抜けになった広い空間にリボンの仕切りがたくさんあって、各スペースで中身が違う。リボンの質感や長さ・数などもそれぞれで設定されていた。

「お弁当の精霊」とその物語があちらこちらに配置されていて、それらを探しつつ好きな順番でまわる形式。ちょっと極端な内容もあって全面的には賛成しかねたが展示自体は楽しい試みだったと思う。

 

フロアを上がって《おすそわけ横丁》。「箱」「布」「おすそわけ」の空間は、多国籍風で無国籍風。

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来場した人も希望があればここに実際に「おすそわけ」できる。ワークショップやポストカードの配布もあって、参加されることまで含んでの作品づくりとなっていた。

 

最後は再び写真と映像。

《お父ちゃん弁当》はいわゆるデコ弁で、弟に持たせるお弁当のデザインを姉が考案し父がつくる。そんなところまで?!と思うくらいにデッサンに対し忠実で、思わず笑ったものもあった。

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見ると案外渋いというか、図鑑の知識を用いたような理科系のテーマが割とある。ジオ弁当、売って欲しい。

 

時間がなくて映像作品は見られなかったが、自分でお弁当をデザインしてみる体験コーナーは楽しかった。汁気の出るものやなまものは避けてカタチをつくるのは案外難しく、引き出しというか慣れと経験が必要だなあと思わされた。

 

上野の森美術館 : [世界を変えた書物]展

入り口が本!次の部屋も本!最後まで本!

「最後まで本たっぷり!」の本の世界。[世界を変えた書物]展([世界を変えた書物]展 人類の知性を辿る旅|金沢工業大学)、上野の森美術館活版印刷登場以後の、あまたの書物の海の中から厳選された稀覯本たちで美しく、体系的に織り成されている。

 

金沢工業大学の協力により作り上げられた展示たち、無心に眺めるだけでも楽しい。

「知の壁」「知の森」「知の連鎖」「知の繋がり」の4部構成で、書物の展示は主に「壁」「森」で行われている。

 

前述の通り入り口が本。いきなり気分を上げてくれる。

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イントロダクション部分を抜けると天井に届く本棚の「壁」。建築関連の本がメインのコーナーである。

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フォトジェニックと話題らしいけど、それは完全に同意できる。薄暗い照明に木製の本棚、整然と佇む布張りの書籍、無限に続きそうな本の迷路、かっこよすぎる……。

 

アーチ(本棚の一部!)を抜けるともう「森」の中。科学や世界に関する発見・発明を記す初版本たちが系統立てられ並んでいる。

ここを通れば人類の叡智の歴史の断片を垣間見られる。

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ケースの底には鏡が貼られて表紙もしっかり見ることができる。

 

「森」の途上で「連鎖」が示される。

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過去の業績に敬意を持ちつつ戦って倒し、また自分も早く誰かに倒されたいのが科学なのかなとなんとなく思う。

 

「森」を抜けると「繋がり」に出る。これは「連鎖」の変奏にあたり、科学の系譜と時の流れを空間的に展開する。

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縦に吊るされた板のうちには、展示にあった本の一部の刷られたものもあり感慨深い。

 

電子書籍が跋扈しようと紙の書籍には力がある。元を辿れば手書きの写本、そこから印刷技術も上がって見た目はどんどん変わってきたけど、質量だけは残っている。手に持った重み、部屋を狭くする厚み、明かりがないと読めさえしない文字。手間のかかるものではあるが私はきっと手放せない。

 

葉月、まだまだ植物ざかり。

葉月という名の由来については様々な説があるようですが、「葉っぱが落ちる月=葉月」というのが一番綺麗なように思います。

旧暦であれば季節の情景そのままでしょうが、現代の8月に名を当ててみればメメント・モリという気分です。どちらかというと落ちているのは蝉ですね。

 

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2018.08.18 読了

『ほんとうの花を見せにきた』

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桜庭一樹

文春文庫 2017年

 

「君、さてはバンブーだろ」

「あたしたちのこと知ってんの」

「夜歩き!人の血を啜り!生きた肉を食う!」

「……そうだよ」

(「ちいさな焦げた顔」)

 

竹の吸血鬼と人間のお話。

「バンブー」と呼ばれるその種族は、ひっそりと、夜の闇に溶け込んで、規律を守って暮らしている。(夜勤で働き血液パックを購入している。生きた人間は襲っちゃいけない。バンブーであることは誰にも内緒。)

 

吸血鬼だから日光で死ぬし鏡にだって映らない。歳はとらないし空は飛べるけど自分ひとりじゃ身だしなみだって整えられない。だからお互いを綺麗にしてあげる相棒を拾ってみたりもする。

 

人間と暮らせば大罪人、歳はとらなくても寿命はある、中国の山奥から遥々やってきた妖怪たち。

形式としては連作短編(中編?)集だが読後のダメージは十分長編。机に突っ伏して動けなくなりたい。